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ナスカ地上絵の「発見」(下)/ポール・コソック

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1941年6月22日、ペルーの古代灌漑水路を調査する過程で、ポール・コソックはナスカの地上絵を「発見」した。コソックの旅はペルー海岸地帯の渓谷群からアンデス高地にもおよび、ペルー最高峰ワスカラン山を望むカエホン・デ・ワイラス、皇帝アタワルパがピサロに殺害されたインカ帝国終焉の地カハマルカ、まばゆいばかりの黄金で知られるシカン王朝のランバイエケ渓谷へといたった。

この一連の旅のなかでポール・コソックは、ナスカの地上絵を「発見」しただけでなく、ナスカの線が冬至線に重なること、一般には知られていなかったランバイエケ渓谷などの海岸地帯の渓谷を踏査したこと、円形劇場をもつ神聖都市カラル=スペを「発見」したことなど、古代ペルーの新たな一面を明らかにしていった。

ポール・コソックはペルーからの帰途、メキシコのチチェン・イッツァやホンジュラスのコパンなどマヤ文明の遺跡に立ち寄った。ペルーの巨大な日干しレンガのピラミッドとは異なる石組みのピラミッド。やがてミシシッピ川河口のニューオーリンズに着いたポール・コソックは、カホキア墳丘群(ミシシッピ文化)を築いた古代のマウンドビルダーとアメリカの古代文明に想いを馳せる。「私たちはどこから来たのか?」。思索をめぐらせながら、ニューヨークに戻ったポール・コソックはこの書物『ナスカ地上絵の「発見」(Life, Land, and Water in Ancient Peru)』を記しはじめた。

※本書は、1965年に発刊された『Life, Land, and Water in Ancient Peru』(Paul Kosok/Long Island University Press)を『ナスカ地上絵の「発見」』として翻訳出版したもの。また本書上巻のなかの章『ナスカに刻まれた「謎の徴」』は『The Mysterious Marking of Nazca』(By PAUL KOSOK with the collaboration of MARIA REICHE/Natural History)のポール・コソック執筆箇所を翻訳した。

【下巻収録部分】
Section D THE NORTHERN ZONE OF THE CHIMÚ EMPIRE チムー王国北方領土
Chapter12/王朝と文化の十字路 〜ヘケテペケ渓谷
Chapter13/アンデスの同盟者 〜カハマルカ
Chapter14/砂漠に水路を求めて 〜パンパ・デ・サーニャ
Chapter15/つながる環 〜サーニャ渓谷
Chapter16/統一と多様と 〜ランバイエケ-レチェ-モトゥペ渓谷群

Section E THE SOUTHERN ZONE OF THE CHIMÚ EMPIRE チムー王国南方領土
Chapter17/孤立した小さな渓谷 〜ヴィルー渓谷とチャオ渓谷
Chapter18/可能性を秘めた巨人 〜サンタ渓谷
Chapter19/サンタ川上流をめぐる 〜カエホン・デ・ワイラス
Chapter20/モチェ文化、南の果て 〜ネペニャ渓谷
Chapter21/謎の遺跡(チャンキーヨの天文考古学遺産群) 〜カスマ渓谷

Section F THE SOUTHERN EXTENSIONS OF THE CHIMÚ EMPIRE チムー王国南方外地
Chapter22/南の知られざる遺跡(神聖都市カラル=スペ) 〜パティビルカ渓谷、スペ渓谷
Chapter23/付記しておくべき他の遺産 〜ワウラ渓谷、そしてその南

Section G THE RETURN HOME 帰還
Chapter24/ペルー、最後の日々
Chapter25/はじまりの時を懐って

【ポール・コソック(1896―1959)】
「ナスカの地上絵」の発見者にあげられるアメリカ人学者、ロングアイランド大学教授。その業績は、科学、ペルーの灌漑から音楽まで、幅広い分野におよぶ。1941年、コソックはペルーの灌漑水路の調査を行なう過程で、ナスカ・ラインズのなかに、ナスカ文化の土器に描かれた動物に似た地上絵があることを「発見」した。そのきっかけとなった6月22日は冬至の日であり、太陽がナスカの「線」上に沈んでいくところを見て、「ナスカの地上絵は、世界最大の天文書である」と唱えた。

ポール・コソック(著)/「アジア城市(まち)案内」制作委員会(訳)

ペーパーバック 四六判、450P
[印刷版] ISBN978-4-8214-9032-5、978-4-86143-531-7 C0026 ¥3,960 (税込)
[電子書籍版]¥1,980 (税込)

ナスカ地上絵の「発見」(上)/ポール・コソック(著)

https://www.google.com/maps/d/embed?mid=1UEAfV41s6DmNy6jQCZA-_HxNhwxhgLU&ehbc=2E312F

それは、1941年6月22日のことだった。古代灌漑水路の調査のためにペルーを訪れていたアメリカ人学者ポール・コソックは、ナスカ地方でペルー政府のトラックに乗って、まっすぐに伸びる「インカ道(線)」の痕跡をたどっていた。その線は、台地の上まで続き、やがて途絶えていた。そこでポール・コソックが見たのは、それまでに知られていたナスカの線や幾何学図形とは異なる「図像(地上絵)」だった。

航空写真を使い、上空を飛んで全体像を把握していくと、「図像(地上絵)」は、古代ナスカ文化の土器に描かれた鳥のような動物の巨大な絵であることがわかった。こうしてナスカの地上絵「El Colibrí de Kosok(コソックの鳥)」は「発見」された。以来、古代のナスカ人によって描かれた、ハチドリやサル、フラミンゴなど、さまざまな動物の巨大な地上絵がナスカ地方で見つかっていった。そのきっかけとなった6月22日は、冬至の日でもあり、沈んでいく夕陽とナスカの線の重なりを目のあたりにしたポール・コソックは、ナスカの地上絵を「世界最大の天文書」と呼んだ。

上巻では、ペルーへの旅立ち、リマの街や人々の様子、古代チムー王国の都チャンチャン、太陽のワカや月のワカ、古代ペルーの歴史、そしてナスカの地上絵などが描かれる。コソックは航空写真を使い、ジープに乗って、また大地を歩いて、神秘の国ペルーを縦横無尽に駆けぬけていく。世界中を驚かせたポール・コソックによる知的冒険。The Discovery of Nazca Lines ! 『ナスカ地上絵の「発見」』。

※本書は、1965年に発刊された『Life, Land, and Water in Ancient Peru』(Paul Kosok/Long Island University Press)を『ナスカ地上絵の「発見」』として翻訳出版したもの。また本書のなかの章『ナスカに刻まれた「謎の徴」』は『The Mysterious Marking of Nazca』(By PAUL KOSOK with the collaboration of MARIA REICHE/Natural History)のポール・コソック執筆箇所を翻訳した。

【上巻収録部分】
Section A INTRODUCTION 旅立ち
Chapter01/なぜ古代ペルーなのか?
Chapter02/旅支度
Chapter03/ペルーへ!
Section B PRELIMINARY WORK IN PERU 新しい地図、そしてナスカの地上絵
Chapter04/過去そして未来 〜リマとペルー
Chapter05/航空写真が、過去の姿を映し出す
Appendix  /ナスカに刻まれた「謎の徴」
Chapter06/世界最大の天文書 〜古代ナスカの新たな地平
Chapter07/トルヒーヨへの旅
Section C THE CENTER OF THE CHIMÚ EMPIRE チムー王国首都圏
Chapter08/古代ペルーについて、私たちが知っているいくつかの事柄
Chapter09/チムーの王都 〜モチェ渓谷
Chapter10/アンデス山脈のほうへ 〜カチカダン
Chapter11/モチェ文化の中心地 〜チカマ渓谷

【ポール・コソック(1896―1959)】
「ナスカの地上絵」の発見者にあげられるアメリカ人学者、ロングアイランド大学教授。その業績は、科学、ペルーの灌漑から音楽まで、幅広い分野におよぶ。1941年、コソックはペルーの灌漑水路の調査を行なう過程で、ナスカ・ラインズのなかに、ナスカ文化の土器に描かれた動物に似た地上絵があることを「発見」した。そのきっかけとなった6月22日は冬至の日であり、太陽がナスカの「線」上に沈んでいくところを見て、「ナスカの地上絵は、世界最大の天文書である」と唱えた。

ポール・コソック(著)/「アジア城市(まち)案内」制作委員会(訳)

ペーパーバック 四六判、438P
[印刷版] ISBN978-4-8214-9031-8、978-4-86143-530-0 C0026 ¥3,740 (税込)
[電子書籍版]¥1,870 (税込)

首里城を求めて(琉球建築文化)The Discovery of Ryukyu Architecture 伊東忠太(著)

沖縄県首里市は、首里城正殿の取り壊しを決定した。これを知った鎌倉芳太郎は東京帝国大学教授伊東忠太に相談。伊東忠太は沖縄に向かい、首里城を訪ねてその建築を調査した。

「この数奇な運命にある首里城正殿保存のために、暖かい手をさしのべてくださることを強く願う。これは決して私ひとりの私情ではない。沖縄だけの問題でもない。私たちの国……いや世界の芸術のために大切なことなのだから」

伊東忠太の働きかけは、内務省を動かし、首里城は国宝へ指定されて、その姿は守られることになった。この話は、今から1世紀も昔の1923年から1925年の出来事だった。

2019年10月、首里城正殿、火災で消失。

ニュースが伝わってのち、2022年3月までのあいだに、日本中からさしのべられた「首里城火災復旧・復興支援寄附金額」は55億円もの額に達した。それは私たち日本人の、首里城への想いを示すようでもあった。

沖縄の誇り、日本の誇り、伊東忠太によってあらためて見いだされた琉球王国の至宝。

よみがえれ! 首里城。

The Discovery of Ryukyu Architecture

首里城を求めて

※本書は、1942年に発刊された『琉球:建築文化』(伊東忠太/東峰書房)を『首里城を求めて』として出版したもの。新たに章立てを行ない、現在、一般的に使われていない言葉や表現は現代語訳した。

首里城や琉球建築はもちろん、料理、信仰から琉歌、神話までを縦横無尽に記載したオキナワの「超」入門書。豊富な図版と写真で、読みやすい。旅行ガイド「伊東忠太と旅する琉球建築」を併録。

【もくじ】

首里城を求めて/伊東忠太

第1章/沖縄へ

第2章/那覇のあらまし

第3章/琉球の信仰

第4章/首里城

第5章/琉球の建築 

第6章/続・琉球の建築

第7章/郊外の旅

第8章/沖縄の出合い

第9章/琉球神話

第10章/沖縄を離れて

あとがき

伊東忠太と旅する琉球建築【前篇】首里城

伊東忠太と旅する琉球建築【中篇】琉球八社と寺廟

伊東忠太と旅する琉球建築【後篇】城(グスク)

見出された琉球アーキテクチャ

伊東忠太(1867―1954)

山形県米沢生まれの建築家、建築史家。東京帝国大学教授。日本建築の源流を求めて、中国、インドなどを踏査し、日本建築史を切り開いた。また1924年に沖縄を訪れ、首里城保存のために尽力した。平安神宮(1895)、明治神宮(1920)、築地本願寺(1934)は伊東忠太による設計。西欧の「Architecture(アーキテクチャ)」に対応する「建築」という言葉は、それまでの「造家」に代わるものとして伊東忠太が生み出した。

ペーパーバック 四六判、324P
[印刷版] ISBN978-4-8214-9030-1、978-4-86143-527-0 C0326 ¥3,135 (税込)
[電子書籍版]¥1,870 (税込)

マチュピチュの「発見」ハイラム・ビンガム(著)/ 清水 修(訳)


【旅を愛し、旅を渇望する、すべての旅人に捧げる】

かつてペルーを中心とする南米に広がる文明をもった帝国があった。アンデス山中のクスコを都とするインカ帝国。インカの人たちは文字を知らないが、結縄キープの結び目を使って意思伝達し、飛脚チャスキが帝国全土に張りめぐらされたインカ道を駆けまわっていた。そして、美しい石組みの神殿をもつ都市を築いて、その頂点にインカ皇帝が君臨していた。

16世紀、大航海時代を迎えたスペインの征服者コンキスタドールは、このインカ帝国のまばゆいばかりの黄金に魅せられ、インカ皇帝を捕らえて殺害、帝国を制圧した。インカ帝国の一部の人々は、ペルー山岳地帯のビルカバンバに逃れて亡命政権を樹立、抵抗を続けるが、やがてスペインに征服される。人里離れたペルー山岳地帯、文字をもたなかった文明の特徴などから、インカ帝国「最後の都」ビルカバンバは放棄され、忘れ去られてしまっていた。

そして、数世紀が過ぎた。

1911年、アメリカ人探検家ハイラム・ビンガムは、イェール大学の探検隊をひきいて南米ペルーへ旅立った。その目的は、失われたインカ帝国「最後の都」ビルカバンバを探すこと。ビンガム一行は、ペルー高原地帯を旅するなかで、悪魔の出現する白い岩、太陽の処女、占い師や神官のいる大学、催眠状態を引き起こす麻薬性あるウィルカの種子と、次々にインカ帝国の謎にせまっていく。

そして、その旅の過程において、メルチョール・アルテアガに導かれ、山中の尾根に展開する都市遺跡マチュピチュを「発見」。インカの都市の姿を、ほとんどそのまま残したマチュピチュを紹介し、世界中を驚かせた。

チチカカ湖、クスコ、コロプナ山登頂から、インカ神話やインディヘナの生活、キリスト教宣教師の苦難まで、旅の醍醐味をあますところなく伝える『Inca land : explorations in the Highlands of Peru』(1922年発刊)を本邦初訳出。

ディスカバリー・オブ・マチュピチュ、『マチュピチュの「発見」』。

はじめに
第1章/砂漠を越えて
第2章/コロプナ山登頂
第3章/パリナコチャス湖への道
第4章/フラミンゴの湖
第5章/チチカカ湖
第6章/ヴィルカノタ州とペルー高地の民
第7章/ウアタナイ渓谷
第8章/南米最古の都市クスコ
第9章/最後のインカ四代
第10章/インカ最後の都を求めて
第11章/探検は、続く
第12章/要塞ビトコスと「太陽の家」
第13章/ビルカバンバ
第14章/コンセビダヨク
第15章/幽霊たちのパンパ
第16章/失われた最初のインカの都市、タンプ・トッコの物語
第17章/マチュピチュ
第18章/マチュピチュのはじまり
解説/ディスカバリー・オブ・マチュピチュ

ハイラム・ビンガム(1875-1956)

ハワイ生まれのアメリカ人探検家。1911年、イェール大学の探検隊をひきいて南米ペルーへ。インカ帝国「最後の都」ビルカバンバを求めるなかで、山中の尾根に展開する都市遺跡マチュピチュを「発見」。20世紀考古学において、最大級の評価を受けた。

清水 修(しみず おさむ)

東京外国語大学卒業後、総合商社勤務。東南アジアから中東まで、アジア各地に赴任。豊富な海外滞在歴を活かして翻訳業に従事。

ペーパーバック 四六判、406P
[印刷版] ISBN978-4-8214-9029-5、978-4-86143-520-1 C0326 ¥3,608 (税込)
[電子書籍版]¥1,815 (税込)

ISBN978-4-8214-9029-5、978-4-86143-520-1

ペーパーバック四六判、406頁 、¥3,608 (税込)
電子書籍版¥1,760 (税込)

新版 項羽と劉邦 長与善郎/松本犂牛

紀元前221年に中華を統一した始皇帝の死後、中華は再び混乱の時代を迎えていた。そして、秦の都咸陽(西安)から東に遠く離れた楚の地では、ふたりの英雄が機会をうかがっていた。項羽と劉邦。名門に生まれ、超人的な戦闘力をもった覇王項羽に対して、農民出身だが人望に優れた劉邦。彼らのそばには、それぞれ中華一の美女とたたえられる虞姫(虞美人)と、豪傑まさりの胆力をそなえた呂妃という対照的な女性がいた……。

息をのむほどの緊張感ある駆け引きが繰り広げられる「鴻門の会」、絶体絶命の危機に追い込まれた「四面楚歌」、一度は敗れた者が再び勢力を巻き返す「捲土重来」。項羽と虞姫、愛と野心、智謀と寛大、天下をめぐってさまざまな想いがせめぎあう。後世に語り継がれた名場面の数々を生んだ物語(戯曲)が、現代語訳で読みやすくなって登場!

(註)初版本『項羽と劉邦 : 戯曲』は1922年、新潮社より発行された。また現代語訳にあたっては1951年発行の岩波文庫版『項羽と劉邦』も参考とし、文語的語彙や言い回しを現代的表現に改めたほか、翻案を行った。

目次 項羽と劉邦

[序幕]

  会稽太守、殷通の館

[第一幕]

  第一場 徐州、塗山駅の虞一公邸

  第二場 沛県にある劉邦の館

  第三場 彭城におかれた楚軍の本営

[第二幕]

  第一場 定陶郊外、とある居酒屋の中

  第二場 咸陽の近く、新城におかれた項羽の陣

  第三場 関中、覇上にある劉邦の館の前

[第三幕]

  第一場 関中、鴻門にある項羽の館

  第二場 韓信の館

[第四幕]

  第一場 洛水をのぞむ項羽の館

  第二場 巴蜀山中、劉邦の駐屯地

  第三場 九里山戦場、項羽の陣

  第四場 同じく九里山戦場、韓信の陣

[第五幕]

  第一場 固陵、韓信の館

  第二場 韓信の館、その奥の一室

  第三場 垓下、項羽の城の中

[終幕]

  烏江のほとり

ISBN978-4-8214-9080-6、978-4-86143-385-6

ペーパーバック四六判、328頁 、¥3,080 (税込)
電子書籍版¥1,320 (税込)